朱印船貿易と鎖国 学校で教えてくれなかった近現代史(6)

画像画像引用-『日本人の歴史教科書』自由社

 16世紀後半になるとポルトガル船が日本に来航するようになって海外への関心が高まり、東南アジア方面にまで進出する日本人も現れました。天下統一を達成した豊臣秀吉は日本人の海外交易を統制し、倭寇を禁圧する必要から、1592年に初めて朱印状を発行してマニラ、アユタヤ、パタニになどに派遣したとされますが、この時のことはあまり資料がないようです。

 南北朝時代や戦国時代には九州・瀬戸内海方面の武士や海賊が中国、朝鮮沿岸を荒らしまわり、倭寇と恐れられていました。16世紀後半になるとポルトガル船が日本に来航するようになって海外への関心が高まり、東南アジア方面にまで進出する日本人も現れました。天下統一を達成した豊臣秀吉は日本人の海外交易を統制し、倭寇を禁圧する必要から、1592年に初めて朱印状を発行してマニラ、アユタヤ、パタニになどに派遣したとされますが、この時のことはあまり資料がないようです。

朱印船制度


 関ヶ原の戦いに勝利して覇権を確立した徳川家康は海外交易に熱心な人物で、1600年豊後の海岸に漂着したオランダ船の航海士ウィリアム・アダムスらを外交顧問として採用したほどでした。1601年以降、安南、スペイン領マニラ(フィリピン)、カンボジア、シャム、パタニなどの東南アジア諸国に使者を派遣して外交関係を樹立し、1604年に朱印船制度を実施しました。

 これ以後、1635年まで350隻以上の日本船が朱印状を得て海外に渡航しました。朱印船は必ず長崎から出航し、帰港するのも長崎でした。なお、明帝国は日本船の来航を禁止していたので、中国は(ポルトガル居留地マカオを除けば)朱印船渡航先とはならず、朝鮮との交易も対馬藩に一任されていたので、朱印状は発行されませんでした。

 ただし、明とは、琉球の対明中継貿易の地位は残り、命脈を保ちました。その後、東アジア諸国の鎖国政策によって国際貿易は縮小しますが、薩摩藩の付庸国となることで日本との、朝貢貿易によって中国との貿易ルートを得た琉球が安定した中継貿易の地位を確立しました。

 海外に出かけた日本人の中には、東南アジアの各地に住み着く者も表れ、日本人が居住する日本人町ができました。各地の日本人町の人口は、合わせて1万人におよびました。なかには山田長政のように、シャム(タイ)の国王から高い官位を与えられた者もいました。

 日本人町は日本風に生活できる町を形成しましたが、鎖国後、自然消滅しました。

朱印船渡航先

・安南(あんなん) 当時北ベトナムを領有していた黎氏を擁立するハノイの鄭氏政権である。東京(トンキン)ともいう。
・交趾(こうち) 当時実質的に中部ベトナムを領有していたフエの阮氏政権である。広南国ともいう。その交易港はホイアン(会安)及びダナンであった。
・占城(せんじょう・チャンパ) ベトナムによって南ベトナムの一隅に押し込められていたチャンパ王国である。
・暹羅(しゃむ・シャム) タイのアユタヤ王朝である。アユタヤには大きな日本人町が形成され、山田長政が活躍する。アユタヤからも交易船が長崎に来た。
・柬埔寨(カンボジア) メコン河流域のプノンペンを首府とするカンボジア王国である。
・太泥(たいに・パタニ) マレー半島中部東海岸のマレー系パタニ王国である。当時は女王が支配し、南シナ海交易の要港であった。
・呂宋(ルソン) スペインの植民地ルソン島である。首府マニラが新大陸とのガレオン貿易の要港で、中国船の来航も多かった。
・高砂 当時ゼーランディア城を拠点にオランダ人が支配していた台湾である。台湾も中国商船との出会いの場であった。

いずれも赤道以北に限られていた。渡航先集計によると交趾(73回)で最も多く、暹羅(55回)、呂宋(54回)、安南(47回)と続く。

朱印船貿易家

・商人  最も数が多く、記録に残る限り65名、さらに婦人2名、琉球出身者1名を数える。代表的な人物は京都の豪商である角倉了以、茶屋四郎次郎、大坂の末吉孫左衛門、長崎の末次平蔵らである。
・大名  九州(亀井のみ山陰)の大名ら10名を数える。島津忠恒、松浦鎮信、有馬晴信、細川忠興、鍋島勝茂、加藤清正、亀井茲矩、五島玄雅、竹中重利、松倉重政らである。
・武士  長崎の村山等安や堺の今井宗薫、大坂と平戸の武士4名にも朱印状が与えられている。
・明人  日本在留の明国商人11名にも朱印状が発行された。明は中国人の日本渡航を禁止しており、これら中国人は密貿易で渡来し、在住する者であった。著名な者としては福建の海賊・李旦がいる。
欧州人 ウィリアム・アダムス、ヤン・ヨーステンら日本在住のオランダ人、イングランド人、ポルトガル人12名にも発行された。

交易品目

 東南アジア諸港へ赴く朱印船の多くは意外なことに中国産の生糸や絹の輸入が目的でした。日本でも絹は古代から産出しましたが、中国産に比べると品質が悪く、太平の世の到来で高級衣料である中国絹に対する需要が増大したためです。他方、かって倭寇に苦しんだ明は日本船の中国入港を禁止しており、朝鮮の役で敵対国となってからはなおさらでした。明は中国商船の日本渡航も禁止していましたが、これは徹底せず、密かに来航する中国船もありましたが、十分な量ではありませんでした。このため明国官憲の監視が及ばず、中国商船は合法的に来航できる東南アジア諸港で日本船との出会い貿易が行われたのです。中国製品以外にも武具に使用される鮫皮や鹿皮、砂糖など東南アジア産品の輸入も行われました。

 見返りとして、日本からは銀、銅、銅銭、硫黄、刀などの工芸品が輸出されました。当時中国では銀が不足していたため、朱印船の主要な交易相手である中国商人は銀を欲しました。しかも当時、日本では石見銀山などで銀が盛産されており、決済手段として最も適していました。ベトナムなどには日本の銅銭も輸出されました。

朱印船に使われた船

 朱印船のサイズは大抵500~750tであり、ガレオンと同等でカラック(1000t超)よりは小型であった。 乗組員はおおよそ200人であった(人数が判明している15隻の平均人数は236人である)。 朱印船は様々な所で建造された。長崎で建造された物は日本・中国・ヨーロッパのデザインを融合させた物もあり、残りはジャンクであった。東南アジア貿易が盛んであった時には、木材の品質もよく造船技術も優れていたシャムのアユタヤで大量の船が注文、購入された。

 16世紀から18世紀にいたる300年間に、ヨーロッパではおどろくほど軍事技術が発達しました。他方アジアでは、国内の戦乱が収まり社会が安定すると、江戸時代の日本も、清朝の中国も、軍事技術の発達に関心をもたなくなりました。東アジアでは、200年以上も平和な時代が続きました。

 こうして、ヨーロッパの軍事力は、アジア諸国を圧倒するようになっていました。13世紀のモンゴルの騎馬団は、馬を走らせてユーラシア大陸の広大な草原を征服しましたが、この時期のヨーロッパ人は、軍艦から大砲を撃って、植民地を征服していきました。

貿易重視からキリスト教禁止へ

 家康はキリスト教を統制することよりも、貿易による経済的利益を優先したので、キリスト教信者が急増しました。幕府にとってこれは脅威となりました。

 スペインとポルトガルに遅れてやって来たオランダとイギリスは、日本との貿易を求めましたが、キリスト教の布教はしないと約束しました。そして、競争相手のスペインなどが、キリスト教を広めて日本を征服しようとしていると幕府に告げ口しました。幕府は1612(慶長17)年、キリスト教禁止令を出し、その後、幕府は日本船の渡航にも次第に制限を加え、1612(寛永12)年には、日本人の海外への渡航も帰国も、すべて禁止しました。

島原の乱と鎖国

 1637(寛永14)年、九州の島原半島や天草諸島で、キリスト教徒の百姓など約4万人が、信仰への苛酷な取締りと領主の重税に反対し、15歳の少年・天草四郎時貞を首領にして、大規模な反乱を起こしました(島原の乱)。翌年、幕府は約12万人の大軍を送り、乱をようやく鎮圧しました。島原の乱に驚いた幕府は、キリスト教の取締りをいっそう強化しました。人々を寺の宗門改張に登録させ、旅行や転居のさいにも、仏教徒であってキリスト教徒ではないことを寺が証明する制度を設けました。

   江戸幕府の鎖国政策の進展により、幕府公認の朱印船の海外渡航すら難しくなり、1633年老中奉書船以外の海外渡航や帰国を禁止する第1次鎖国令が発令され、 1635年にはすべての日本人の海外渡航と帰国を禁止する第3次鎖国令が発令されて朱印船貿易は終末を迎えました。この措置によって東南アジアで朱印船と競合することが多かったオランダ東インド会社が莫大な利益を得、結局は欧州諸国としては唯一、出島貿易を独占することになります。

 1639(寛永16)年、幕府はポルトガル船の来航を禁止しました。イギリスはすでに撤退していたので、貿易を許されたヨーロッパ人はオランダ人のみとなりました。オランダはその後、平戸から長崎の出島に商館を移して活動しました。貿易と出入国を厳しく制限するこの制度は、のちに鎖国とよばれました。

 鎖国の最大のねらいは、外国による侵略の危険防止と、国内秩序の安定のために、キリスト教を禁止することにありました。鎖国といっても完全に国をとざしたわけではなく、幕府が貿易と海外情報を独占する体制のもとで、海外との交流は続けられました。

出典: 『ヨーロッパの歴史』 放送大学客員教授・大阪大学大学院教授 江川 温
『日本人の歴史教科書』自由社
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』他

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